(ウェールズ語ではミルディン(Myrddin)だが、ラテン語化されてメルリヌス(Merlinus)と綴られる。ラテン語化するにはメルディヌス(Merdinus)の方がより自然だが、これではメルドゥス(Merdus)(「糞」の意)に近すぎるので避けられたのであろう)。アーサーおかかえの魔術師にして相談役、実質的にアーサーの国の礎を築き上げた人。古典的なかたちの物語では、マーリンは夢魔(インキュバス)によって孕まれた子どもであったとされる。
ローベルのいうところでは、イエス・キリストが地上に善をもたらしらので、それに対抗するために地獄の悪魔たちが邪悪なる存在を生み出そうとした。しかし、幸いにもすみやかに先礼を受けたので、子どもはたいして邪悪な存在にはならなかったのだ!ブリテン王フォルティゲルンはローマの撤退後しばらくして幾度も塔を建てようとしては失敗していた。今度こそうまくいったと思ったらいつも崩れてしまう。王の幕領たちは事態を打開するには、父なし子(文字どおり父を介しないで生まれた子)を犠牲に供さねばならぬと進言した。元来そのような子どもが多数存在するはずもなく、かつ今や若者となったマーリンがそのような父なし子であることが一般に知られていたので、引き立てられた。ところがマーリンは塔の崩壊の原因は基礎部分の下に池が存在することであると喝破した。さっそく掘ってみるとなるほどそのとおりで、1匹は赤、他方は白の2匹の竜が現われたのであった。これを見たマーリンは一連の予言を行った。
フォルティゲルンを敗ったアウレリウス・アンブロシウスは記念碑をたてようと思った。マーリンは王にアイルランドに行き、これこれの石を手に入れてくださいと助言した。かくしてそれらの石はソールズベリー平原にストンヘンジとして立てられたという次第である。アウレリウスが死にウーゼルが即位すると、魔法でウーゼルをゴロア公の似姿にして、その妻イグレーヌのもとに忍んで行けるようはからった。このときの契りにより生まれたアーサーをマーリンは引き取り、「石のなかの剣」の状況を設定し、これによりアーサーが王となった。すなわち、誰であれ石に突き刺さっている剣を引き抜くことのできた者が王として認められるというのであった。多数の者が試みたが失敗する。アーサーは馬上槍試合に参加するケイに従者として仕えていたが、ケイの剣を宿に忘れてきたのに気がついた。そのとき突然、石のなかに刺さっている剣がアーサーの目にはいったので、アーサーはケイに渡そうと、造作もなくそれを引き抜いたのであった。これを見ていたアーサーの養父エクトールは、この出来事の意味をただちに見抜く。アーサーはもう一度人々の面前で剣を抜いてみせ、王位継承の権利をアピールしたのであった。
マロリーによれば、その後マーリンはニムエ(ヴィヴィアンと呼ばれているテクストもある)にぞっこんほれ込んでしまい、秘密の魔法を教えてしまったので、それを用いてニムエはマーリンを地下に幽閉してしまった。これに対してジェフリーでは、カムランの戦い以後再びマーリンを登場させ、負傷したアーサーをアヴァロンまで導かせている。その後は、アルスレットの戦い以降にマーリンは気がふれ、野人となって森に暮らしたとされる。ギラルディス・カンブレンシスによれば、マーリンが正気を失ったのは、戦いの最中に空に異様な光景を見たからだという。そのときマーリンは、妹のガニエダと結婚していたクンブリア王リデルフ・ハイルの側についていた。マーリンの兄弟のうちすでに3人が戦死していた。しばらくしてガニエダは森のなかで命を絶つようマーリンに説いたが、マーリンはリデルフに妻のガニエダが不貞をはたらいていたことを暴露した。マーリンは森に帰ることを決意し、妻のグエンドロエナに再婚するよううながした。しかしマーリンの狂気が再発し、牡鹿にまたがり、鹿の群れを率いながら結婚式に姿を現わした。怒り狂ったマーリンは角を牡鹿からむしりとり、花婿に向けて投げつけて殺してしまった。マーリンは森に帰り、ガニエダは星の研究ができるよう、マーリンのために観測所をこしらえてやった。
ジェフリー以前のウェールズ詩は、マーリンがリデルフのためではなく、リデルフを相手に戦うということを除いて、だいたいこの粗筋に合致している。しかしリデルフに仕えていたライロケンという人物についても同じような物語が伝えられており、ひょっとしてそのためにジェフリーはマーリンがつく陣営を変更したのかもしれない。ライロケンはウェールズ語の「双子」を意味する語に似ているし、しかもマーリンとガニエダが双生児と考えられていたということを考え併せれば、ライロケンというのが単にマーリンにつけられたあだ名であったとしても不思議ではない。いずれにせよマーリンというのは個人名というよりは地名である。ウェールズ語のミルディンはケルト語の地名のマリドゥノン(Maridunon)(現在のカマーゼンのこと)から来ており、マーリンはこの地の出身だったからそのように呼ばれるようになったのだと、ジェフリーは述べている。その他の文献ではこの間の消息は逆転しており、この都市がマーリンによって創られたがゆえに、それにちなんで名付けられたのだという。ロベールはマーリンがブルターニュ出身であるとする。ジェフリーはマーリンがポウィスの王であったと述べているが、このようにマーリンを王家の縁(ゆかり)としている書物としては、ストロッチィの『ヴェネティア・エディフィカタ(Venetia edificata)』(1624)がある。
マーリンの母親は、ウェールズの伝承ではアルダン(Ardan)、フランス系騎士物語ではオプティマ、ピエリの『メルリーノ(マ-リン)物語(Storia di Merlino)』(14世紀)ではマリナイアと呼ばれている。エリザベス朝の劇『マーリンの誕生』(一部はシェイクスピアが執筆したかもしれない)ではジョウン・ゴゥ・トゥ・トと呼ばれている。
マーリンがモルガン・フリッフ(グウィネズの王子ともいわれる)の息子であるとする言い伝えもある。
こうした伝承のほかに、マーリンが幼いトリスタンの命を救ったとか、ラ・ダモゼル・デル・グラン・ピュイ・ド・モン・ドレルス(La Damosel del Grand Pui de Mont Dolerous:「悲しみの山の強大な権力をもった姫君」ぐらいの意味)なる娘がいたとか、ニムエによって地下に幽閉されたのではなく、みずから引きこもったのだとする説などがある。
ウェールズの詩作品のみならずジェフリーにも、マーリンがタリエシンと話す場面が描かれている。マーリンとタリエシンとの密な関係は、ウェールズ人の記憶に焼きついているようで、たとえば、マーリンはまずフォルティゲルンの時代に登場し、ついで生まれ変わってタリエシンとなり、さらに今一度生まれ変わって「野人マーリン」となったのだとする伝説が存在する。魔術師と野人--ふたりのマーリンがいたという説がギラルディス・カンブレンシス(12世紀のノルマン-ウェールズ系の歴史家)に見えるが、これはジェフリーの記述ではマーリンの生涯がとんでもなく長いものとなり、信憑性にかけるから考えだされたのであろう。
イタリア系の物語にはさらに多くの話が伝えられている。ホーエンシュタウフェン家の行く末を予言したとか、コンラッドなる司教によって異端の告発を受けたが事なきをえたというような話がある。またイタリアの詩人ボイアルドは、マーリンがトリスタンのために、その水を飲めばイゾルデのことが忘れられるという泉を作ってやったが、トリスタンはそれを見つけることができなかったという物語を述べている。アリオストによれば、墓に閉じ込められたマーリンの魂が女戦士ブラドマンテに対して、汝よりエステ王家が創始され、子々孫々栄えるであろうという予言をしたとされる。ストロッツィによれば、フン族のアッティラがイタリアを侵した当時マーリンは洞穴に住んでいて、そこで望遠鏡を発明したという。歴史家であった「ヴィテルボのゴットフリート」はマーリンがアングロ・サクソンの人間であったと言う。
マーリン伝説のなごりがごく最近まで残っていて、ブルターニュのバレントンにある「マーリンの泉」を訪れる風習があったが、これは1853年にヴァティカンの教皇庁によって中止させられた。
ティンタジェルにあるマーリン洞窟に、マーリンの亡霊が出るという。マーリンの埋葬された場所としては、スコットランドのドラメルジアとも、マールボロ・コレッジの敷地内の「マーリン山」の下とも、ミニズ・フィルディンとも、カマーゼンの「マーリン丘洞窟」ともいわれる。
かりに実在したとして、歴史的人物としてのマーリンはどのような存在だったのだろうか。W.ルーサーフォードやN.トルストイなどの最近の研究者は、マーリンの正体はドルイド僧の残党で、シャーマン的な呪術を行っていたのだろうと考えている。ユングやフォン・フランツも、マーリンの物語のなかにシャーマン的要素を認めている。
このような考え方は、マーリンは男性神(暮れの明星)で、ガニエダは女性神(明けの明星)であるとするE.デイヴィーズのより古い説と対照的である。マーリンがもともと神格をもっていたとする説には、証拠がなくもない。というのも、『三題歌集』にはブリテンの古称は「マーリンの土地」というものであったというくだりがあり、これを読めば、いかにもマーリンが神であり、ブリテンがマーリンのものであったかのような印象を受ける。G.アッシュは神であるマボン崇拝とマーリンを結びつけようとする。さらに、マーリンは牡鹿と縁があるので、角を生やしたケルトの神ケルヌノスと何か関係があるのかもしれない。