アーサーペディア
アーサー王大百科

ブリテン

名称の由来

アーサーが統治した島。この呼称はピクト人が自分たちのことを呼んだプリテニ(Priteni)という名に由来する。

詳細

ブリテン島のローマ統治領にはスコットランドは含まれなかった(ただし低地地方はローマ領となった)が、ローマ領を引き継いだとされる伝説上のアーサーブリテン島全体を統治した。

逸話

伝説によれば、この国を最初に支配したのは巨人のアルビオン(Albion)であった。アルビオンの生涯はホリンシェッド(Holinshed)の『年代記(Chronicles)』(1577)に描かれている。ジェフリーはアルビオンという名は出さないが、人が住む以前のブリテン島には巨人たちが住んでいたと述べている。やがてアエネイアスの子孫であるブルトゥス(Brutus)がこの島を治め、ローマ時代まで独立国家として存在したのだという。

異説

『リデルフの白い本(White Book of Rhydderch)』(14世紀)にはこれとは違う伝説が見える。この国は最初「ミルディン(Myrddin、すなわちマーリン)の土地」と呼ばれていたが、これが「蜂蜜の島」となり、最終的にアイズの息子プリダインが征服したことからプリダイン(すなわちブリテン)と名づけられた。ジェフリーはこの伝説には触れていないが、これはジェフリー以前のものである可能性がある。アイズというのはアイルランドの太陽神エド(Aedh)のことかもしれない。

『白い本』にはまた、プリダインはコーンウォールの産で、ポルレックス(Porrex、ジェフリーではブルトゥスの後継者とされる)が死んだ後、ブリテン島を征服したという記述がある。ジェフリーはプリダインに関する伝説のことを知ってはいたが、ブリテンという呼称がブルトゥスに由来するという自説と矛盾することを嫌って、わざと無視したのかもしれない。

アイルランドの伝説では、ネメディウス(Nemedius)の息子でそこに住みついたその名もずばりブリテンなる人物に由来するという。

近年の解釈

ローマ時代以前のブリテンについて、いわゆるふつうの歴史はほとんど語るところがない。紀元前2800年以前には新石器時代人が住んでいたことを考古学が教えてくれる。その人々を称してウィンドミルの丘陵人(Windmill Hill People)という。彼らの後には銅と金を使用することのできたビーカー人(Beaker People)がやってきた。これはケルト人であったかもしれない。その後のある時期に鉄器をもったケルト人がブリテン島の支配者となったが、それがいつのことであったのかはよくわからない。

M・ディロンとN・K・チャドウィック がこの問題について論じている。ユリウス・カエサル は何度もブリテン島にやってきたが、ローマが実際にこの島を征服したのはクラウディウスの時代である。ローマがブリテン統治を放棄すると、北からはピクト人、西からはアイルランド人、北海の向こうからはアングロ族、サクソン族、ジュート族の侵攻を受けた。「歴史上の」アーサーの時代はこの後の時期であると思われる。

図説アーサー王伝説事典

索引

協力

  • 原書房
  • 東京大学大学院
    総合文化研究科 教授
    山本史郎