アーサーペディア
アーサー王大百科

ジェフリー

人物紹介

ジェフリー・オブ・モンマスは著名な聖職者であった。オスニー僧院の創設憲章に署名した1129年からウェールズの聖アサフ教会の司教に任命される1152年までオクスフォードに在住した。1153年暮れには国王スティーヴンとアンジュー候ヘンリーのあいだに結ばれたウェストミンスター条約締結の証人をつとめた。ウェールズの年代記には1155年に死去したという記録がのっている。

ジェフリーの語るところによれば、彼にはオクスフォードの助祭長であったウォルターなる友人がいた。この人は「歴史の隅から隅まで知ってい」て、「ブリタニアの言語で書かれたきわめて古いある書籍」を貸してくれたという。これが『ブリタニア列王記』の主たる種本となった。この本はもはや現存していない。このような本がかつて存在したことを疑問視する学者もいる。いくつかのばらばらの素材(ウェールズに残る歴史書および家系図や、友人のウォルターから聞いたアーサー王がらみの口碑伝説など)のことを指して、ジェフリーが「書籍」という言葉をルーズに用いたのかもしれないのである。

シェフリーが書き残した書物は、強烈なプロパガンダの書であった。その第一の目的は征服されたブリタニアを賞揚し、ローマをこきおろすことであった。ジェフリーはすさまじいばかりに、またときには気恥ずかしくなるぐらいに愛国的である。ローマによるブリテン島征服がなかったかのような書きぶりである。また、アーサー王より数百年前の時代に、勝手にでっちあげたブリテン王ベリヌスなる人物に、なんとローマを征服させている。

ブリタニア列王記

アーサー王伝説の大部分が、すでにジェフリーの作品の中で明確な像を結んでいる。その例としては、謎めいた預言者・魔術師マーリンアーサーの受胎と誕生、アーサーグウィネヴィアの結婚、魔剣エクスカリバー、四天王--すなわち、サー・ガウェイン、酌人(カツプベアラー)サー・ベディヴィア、執事サー・ケイ、およびコーンウォールのサー・カドール--モルドレッドの裏切り、カムランでの最後の戦い、致命傷を負ってのアヴァロン島への脱出などがあげられよう。ジェフリーは、このような素材の多くを、英国の内外ですでに広く行なわれていた伝説や物語のたぐいから拾いあげたが、それに加えて、戦争、条約、戦闘などの疑似歴史的素材を加味し、また手持ちのケルト的な原材料に磨きをかけて、宮廷風の行儀作法と騎士道の光沢をつけたのである。こうしてできあがった『ブリタニア列王記』は、西欧文学上において空前絶後の影響力を持った書物となり、またさらにアーサー王の一生を忠実にたどった史書として広く一般に認められたのであった。

図説アーサー王物語

索引

協力

  • 原書房
  • 東京大学大学院
    総合文化研究科 教授
    山本史郎