『カンブリア年代記』には、アーサーとメドラウト(モルドレッド)がカムランで死んだと記されている。しかしふたりがあい戦っていたとはどこにも書かれていない。ジェフリーによれば、モルドレッドはアーサーの甥(すなわちアーサーの姉アンナとその夫であるロジアンのロットの息子)であるという。『ロナブイ』では、モルドレッドはアーサーの甥であり、かつ養い子であるとされている。
アーサーがローマ戦役に出ている留守に、モルドレッドがグウィネヴィアと王位を奪い、その結果「最後の戦い」に至ったと、ジェフリーは述べている。『リ・ミルール・デ・ズィストワール』の記すところでは、モルドレッドはこの戦いには生き残ったが、無念にもランスロットに敗れてしまった。ランスロットはグウィネヴィアを処刑し--王妃が喜んでモルドレッドの意を迎えたと思ったのだ--、モルドレッドを王妃の死体とともに監禁した。餓死に瀕したモルドレッドは王妃の屍体を貪ったという。
モルドレッドの誕生にまつわる近親相姦モチーフは、後世に登場したらしい。一番古いのは『アーサー王の死』(「流布本物語群」の一部)に描かれたものである。マロリー版では、アーサーが自分たちの関係を知らぬままに異父姉のモルゴースと寝て、その結果モルドレッドが生まれたとする。真実を知ったアーサーは、モルドレッドを殺すために、モルドレッドと同じ日に生まれた子どもをすべて川に流させた。モルドレッドを載せた船は難破したが、モルドレッドは命が助かって、ナブールに育てられた。
成人となったモルドレッドはアーサー配下の騎士となり、一時はランスロットとともに行動したこともあった。ペリノア家との争いではオークニー家の側に立ち、ペリノアの息子ラモラックを殺した。ランスロットと戦うためアーサーが国を留守にすると、モルドレッドは摂政として残された。やがてモルドレッドはアーサーが死んだと宣言し、グウィネヴィアを包囲したので、アーサーはどうしても戻らざるをえなくなった。