「聖杯」は「円卓の騎士」たちが追い求める器。この語は古フランス語のグレアル(原綴greal。一種の皿を意味する。)から来ている。
一番最初に「聖杯」を登場させたのはクレティアンで、そのときはパーシヴァルが主人公であった。ここでは「聖杯」は(a grailという風に)普通名詞として用いられていたが、それが後になって、固有名詞(the Grail)となった。
パーシヴァルが最初「聖杯」の獲得に失敗するのは、「不具の王」の傷を癒し、一帯の国々を豊饒に導くべき、いわゆる「聖杯の質問」(「聖杯」とは何か?「聖杯」はだれに仕えるのか?)を口にしなかったからである。ここで問題となるのは、「聖杯」物語の背後にどのような伝説がかくされているのかということである。最終的な形では、「聖杯」は「最期の晩餐」のさいにイエスが用いたコップ、あるいはその時テーブルの上に出された皿、あるいは石(ヴォルフラム)である。
「聖杯」の起源は、ある神秘崇拝の宗派が信じていた、「三位一体」を象徴的に示す「聖なる物体」であったと、F.アンダソンは主張する。J.L.ウェストンはアドニスの物語と類似のものを含む、キリスト教以前の豊饒の儀式の一部ではないかと考えている。たしかに、王の病いと病める土地の並行関係がある種の「豊饒」物語を指し示していることはまちがいないであろうが、それはウエストン女史が考えているように東洋的なものではなく、ケルト起源である可能性がある。「聖杯」は人々に食物を出してくれるものとされているが、これで思い出すのは「豊饒の大鍋」である。
この不思議な鍋はケルト神話に登場し、「ブリテン島の13の宝」のひとつである「リデルフのディスゲル(ディルヌウィン)」を連想させる。すなわち、大鍋獲得を目的としたアーサーの「あの世」遠征という『プライデイ・アンヌウフン』の物語、またこれの変異形と思われる、大鍋獲得のためにアーサーがアイルランドに遠征するという『キルフウフ』の物語は、「聖杯探求」の初期の形態であったのかもしれないのだ。しかしその一方で、「聖杯」物語はウェールズの『ペレディール』に示されているような復讐モチーフをめぐって構成されたのが、元来の姿であったのかもしれないのである。この物語の原型は、カップを差し出され、それを誰の用に供すべきか訊かれた主人公の名前をめぐる物語であったと、D.D.R.オーウェンは推測している。
「聖杯」とは、精霊を抱いた人間の肉体を比喩的に表現したものであるという解釈は、後になって生じてきたものであろう。
近年では、「聖杯」を「聖なる(キリスト)の血」とからめて説明する理論が、通俗書に紹介されたりすることで、人口に膾炙している。こうした書物では、「聖杯」というのはキリストから子、孫へと受け継がれてきた血筋のことであると解釈し、さらに、カタリ派もしくはアルビジョワ派(すなわちマニ教にもとづく異端宗派)がおおいに関連していると考えている。しかしカタリ派は性を通じて子々孫々を残すことは悪であるとみなしていたので、かれらの子孫を云々かんぬんするのも妙な話である。また、この理論を発展させて、宇宙からの訪問者とか、コロンブス以前のアメリカとの接触などの話がつくり出されている。
「聖杯」物語におけるキリスト教的要素は、後になってからオリジナルの物語に重ね合わされたものである。こうした要素が特に強く打ち出されているのが「流布本」版の『探求』などであろう。『探求』における「聖杯」体験に、ガラハッドによる神の直視が含まれていた可能性は十分あると、P.マタラッソは述べている。
クレティアンの続編、ヴォルフラム、『ペルレスヴォ』で「聖杯」を得るのはパーシヴァルである。これに対して、「流布本」版の『探求』およびそれをもとにした作品ではガラハッドとなっている。『王冠』ではガウェイン、さらにマロリーではガラハッド、パーシヴァル、ボールスが3人同時にそれを獲得するとされている。そしてボールスのみがアーサー王の宮廷に帰還する。元来の「聖杯」のヒーローはガウェインで、後になってパーシヴァルが入れ替わったと考えているのはJ.L.ウェストン。これにたいしてJ.マシューズは、ガウェインに入れ替わったのはガラハッドだという説を唱えている。
『探求』によれば、「聖杯」はガラハッドの死後、天から伸びてきた手によって持ち去られたという。