アーサーの祖父。ブルターニュ王アルドロエヌスの兄。ブリテン王となり、コンスタンス、アウレリウル・アンブロシウス、ウーゼルという3人の息子をなした。最後はピクト人によって刺殺される。ウェールズの系図では、コンスタンティンの父親はキンヴォール(Kynnvor)という名であるが、ギャレットはブルターニュのソロモン王であるとする。
コンスタンティンの原型はローマ皇帝コンスタンティヌス3世(在位紀元407-11)であろうといわれている。この人はふつうの兵士であったが、当時西ローマを統治するホノリウスという名の皇帝がいたのにもかかわらず、ブリテン島のローマ軍が皇帝に仕立てあげてしまった。コンスタンティンはガリアに上陸し、アルルで皇帝を名のった。その際息子のコンスタンが、ジェフリー述べるところのコンスタンスと同じように、修道院を出たのであった。しかし、臣下のゲロンティウスが謀反を起こし、コンスタンスを負かし、戦死させた。コンスタンティンはもうひとりの息子とともにホノリウスの軍門に降ったが、両者とも拘禁中に殺害された。
もしも死んだのが紀元542年のことであるなら、歴史上のアーサーの祖父と考えるには、生きた時代が早すぎるであろう。ただし、アーサーの方がもっと古い時代の人だとすれば、祖父であることは十分可能だ。
歴史上の人物としては、6世紀のドゥムノニア国王があげられよう。アーサー王物語の中では、アーサーのいとこ、すなわちコーンウォールのカドール王の息子で、アーサー亡き後ブリテン王位を継承する。モルドレッドの息子たちが反乱を起こしたが、コンスタンティンは彼らの挑戦をしりぞけ、ひとりひとり別々に、祭壇の前で処刑した。
「アルドロエヌス」